확장되는 음악 Augmented Music
시장과 경매, 비평과 학계 등 한정된 커뮤니티에서 규정되고 전달되는 현대미술의 가치는 현대의 젊은이들에게 어떤 의미를 가질까?
만약 예술이 대중과 거리감이 있는 곳에 머물러 있다면, 우리에게 영향력을 발휘하고 사회의 행동변화를 유도하는 예술의 원초적 가치를 추구할 수 없을까?
그런 의미에서 현대미술과 대비되는 존재가 인터넷 문화다. 인터넷에서 디스플레이를 통해 한 명의 창작자가 다수의 사람들에게 작품을 전달한다. 그러나 이 인터넷의 높은 재현성으로 인해 이들은 예술과 멀어지고 있다.
예를 들어, 콘서트나 라이브 공연의 경험 등 본래 그 순간에만 존재했던 음악을 몇 번이고 똑같이 맛볼 수 있게 됨으로써 그 순간에만 존재하는 기적이 사라졌다고 할 수 있다.
본 기획전에서는 이러한 인터넷이 주도하는 시대의 새로운 예술의 가치를 인터넷 문화의 측면에서 추구한다. 인터넷 음악의 주역들이 마음의 자리를 주제로, 현장에서만 경험할 수 있는 일회성 음악을 예술로 표현함으로써 예술을 인터넷 문화로 확장하는 시도이다.
엔터테인먼트에서 예술로, 인터넷에서 예술제로, 컨셉과 리서치, 크래프트가 중첩되면서 음악의 영향력은 예술까지 확장된다. 이번 기획전에서는 새로운 시대의 예술의 가치를 제시한다.
참가 작가는 타나카, 시노미림, 하루마키고혼, 플로클로, sekai, x0o0x_이다.
作品解説
시장과 경매, 비평과 학계 등 한정된 커뮤니티에서 규정되고 전달되는 현대미술의 가치는 현대의 젊은이들에게 어떤 의미를 가질까?
만약 예술이 대중과 거리감이 있는 곳에 머물러 있다면, 우리에게 영향력을 발휘하고 사회의 행동변화를 유도하는 예술의 원초적 가치를 추구할 수 없을까?
그런 의미에서 현대미술과 대비되는 존재가 인터넷 문화다. 인터넷에서 디스플레이를 통해 한 명의 창작자가 다수의 사람들에게 작품을 전달한다. 그러나 이 인터넷의 높은 재현성으로 인해 이들은 예술과 멀어지고 있다.
예를 들어, 콘서트나 라이브 공연의 경험 등 본래 그 순간에만 존재했던 음악을 몇 번이고 똑같이 맛볼 수 있게 됨으로써 그 순간에만 존재하는 기적이 사라졌다고 할 수 있다.
본 기획전에서는 이러한 인터넷이 주도하는 시대의 새로운 예술의 가치를 인터넷 문화의 측면에서 추구한다. 인터넷 음악의 주역들이 마음의 자리를 주제로, 현장에서만 경험할 수 있는 일회성 음악을 예술로 표현함으로써 예술을 인터넷 문화로 확장하는 시도이다.
엔터테인먼트에서 예술로, 인터넷에서 예술제로, 컨셉과 리서치, 크래프트가 중첩되면서 음악의 영향력은 예술까지 확장된다. 이번 기획전에서는 새로운 시대의 예술의 가치를 제시한다.
참가 작가는 타나카, 시노미림, 하루마키고혼, 플로클로, sekai, x0o0x_이다.
一つ目の作品、たなかと椎乃味醂による『多面体、鏡面』は、ボーカロイドのようなキャラクターが生まれ、ユーザコミュニティのなかで育っていく様を表現したもので、人間のシンガーとの対比も想像させる意欲的な作品である。HIPHOPビートやエレクトロニカなどの手法を組み合わせた曲調が特徴的な椎乃味醂が作曲を行い、かつてぼくのりりっくのぼうよみとしても知られた音楽家のたなかが作詞と歌声の提供を行なっている。たなかの歌声を元にした音声合成ソフト「彼方(KANATA)」は今回の作品のために制作されたものである。鑑賞者は彼方が歌唱した三つの音楽を楽しんだ後、QRコードを通じて感想の入力を求められる。メインディスプレイに投影された映像はそれらの感想によって生成されたものに随時差し替えられていき、さながら彼方を取り巻くユーザの二次創作として機能する。また、サブディスプレイに投影された彼方の紹介ポスターも鑑賞者の感想によってダイナミックに変化し、キャラクターのイメージをユーザが育てていく——すなわち文化が形成されていく様子を体験することができる。このようなインタラクションを通じて、人間ではない存在が鑑賞者のフィードバックを通じて存在感を帯びていく、二次創作やユーザによって形成された文化まで含めて音楽体験を捉えたとき、その音楽は決して記録された一律なものではない。インターネットの時代の新しい瞬間の芸術と言えるのではないだろうか。
二つ目の作品ははるまきごはんによる『聴心』である。はるまきごはんはボーカロイドプロデューサーや作曲家として活躍するのみならず、イラストやアニメーションも自ら手がけ、ミュージックビデオやゲームアプリなど一連の作品のなかでキャラクターたちを生き生きと描き出している。本作品では、さながら巨大なアクリルスタンドのようにつくられた少女が鑑賞者に相対する。そして、鑑賞者は彼女の心を聴くことができるかが試される。手元にあるカルテのような本には少女の話した八つのストーリーが誰かの手によって記録されており、鑑賞者はそれぞれのストーリーとそれらの帰結を読むことができる。その本の最後には、「彼女の話すストーリーや想いには一貫性がなく、対話をする気がないようだ」という趣旨の言葉が記録されている。私たちの心は多面的であって、それぞれの側面を単純に繋ぎ合わせても矛盾に満ちており理解することはできない。しかし、それらを重ね合わせたままの美しい心の音楽を聴くこともできるはずである。鑑賞者は手元のフェーダーによって八つのストーリーに対応した音楽を鑑賞し、さらには自由にそれらの音楽をミックスし、心地よい音楽の総体としてその心に耳を傾けることができる。その人のその場でしかあり得ない一回性のあるミックスという行為は創作ともアナロジーされ、異なる音が重なり合う心を聴く現実空間ならではの体験が提供される。
三つ目の作品はフロクロによる『流動回廊』である。これまでもフロクロは創作という行為を選択の連続として捉えた作品を発表してきた。選ばれたかもしれない音、選ばれたかもしれない言葉の組み合わせの中から実際の音楽が選択されている様子を表現した『ただ選択があった/重音テト』は、YouTubeで300万回以上再生されている。音楽を創作するということは、あり得たかもしれない音の可能性から一つの音を選ぶこと、あり得たかもしれない言葉の可能性から一つの言葉を選ぶことであるという。そんなフロクロの作品が一回性のある音楽をテーマに高度に拡張されたのが『流動回廊』である。左側のディスプレイには、音と言葉の可能性のネットワークが表示されており、その音から音へ、言葉か言葉へと遷移する様子をリアルタイムに鑑賞することができる。右側のディスプレイには作曲を行うソフトウェアの画面が表示されており、メインやドラムからボーカルまで、選ばれた音と言葉がその場で生成されていく様子を体験できる。その遷移はランダムであるが、ネットワークの構成自体が音楽としての成立、フロクロらしい音や言葉選びを前提としたものとなっているため、鑑賞者は「あり得たかもしれない音楽の可能性」を無限に楽しむことができる。それはフロクロの音楽の可能性の全てを体験することにほかならず、二度と同じ組み合わせの音楽として鑑賞できないことこそが一回性を担保している。
四つ目の作品はsekaiとx0o0x_による『境界』である。原初的には音楽とは一回性の芸術そのものであった。それが身体の拡張たるメディアによって「記録」され、「再生」されるようになり、画一的に配信される芸術へと変化していった。ことインターネットの時代において、sekaiの歌声は、x0o0x_の音楽は、彼らから数百万人の元へそのままに届く。そんなインターネットの音楽に対して、瞬間の芸術を復活させることはできるか。本作品では、目の前の誰かのために演奏する、目の前の誰かのために歌うという一回性の音楽を実現することを目指している。具体的には、x0o0x_によるメイン、ピアノ、ロック調などの複数のトラックのバリエーションと、sekaiによる複数のストーリーを表現した異なる歌詞のバリエーション、さらに歌い分けの表現によって歌唱のバリエーションが組み合わさった音楽が鑑賞できる。さらに、それらの組み合わせはパートごとにも切り替わるようになっており、一曲を通して鑑賞する中での組み合わせの可能性は無限大となる。そのような音楽の鑑賞では、まさに一回限りの「あなたのための歌声」を聴くことができる。この作品は録音とSNSでのシェアが許可されており、あなたのための歌声をSNSを通じてシェアすることにより、一回性の音楽をインターネットを通じて共有し合うという新しいフェーズの音楽の鑑賞体験まで提案している。
解説:佐久間洋司
写真:Yoshiumi Haruki
큐레이터
アドバイザー
아티스트
《多面体、鏡面》
作曲・ディレクション:椎乃味醂
作詞・歌唱:たなか
システム開発:ながい、なぽりたん、yuu(インフラサポート)
UI・ポスターデザイン:kohakuno
キャラクターデザイン:氵戔マ
リリックビデオ:Cube、柚璃遥、ぶるたるvap
《聴心》
《流動回廊》
ディレクション:フロクロ
プログラミング:melonade
《境界》
クレジット
企画・制作:NOUS
ポスター・バナー制作:kohakuno
パネル・リーフレット制作:春木美海
プレスリリース用素材制作:伊藤里紗
制作進行補助:河野裕花
インストール:たま製作所
ショップ:北原一輝
運営:株式会社アートローグ
행사장